検索されないWebの未来と、AIがすべてを変える(かもしれない)という妄想

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  • 雑談

最近、Google検索を使わなくなった。ふとした疑問や情報収集は、気づけばChatGPTに聞いて終わりになっている。検索結果を比較検討するより、AIの返してくれる要約の方が手っ取り早くて納得感もある。最初は「すごいな」だったけど、今ではそれが当たり前になった。

この変化は、単なる検索手段の置き換えではない。これは、「情報にどう出会うか」の構造そのものが変わる、つまり“検索という行為”が死にかけていることを意味している。

 

SEOというゲームの終焉

SEOの時代は、インデックスされ、スコア付けされ、上位表示されれば人が来た。だからこそ、タグの付け方、キーワード密度、被リンクの獲得、構造化データの整備といった”小手先の最適化”が通用していた。

だが、ChatGPTやPerplexityのようなLLM(大規模言語モデル)は、その枠組みにいない。彼らは「インデックス」された情報を検索しているのではなく、学習済みの膨大な文脈を元に、言語的な“それっぽさ”と“信頼されそうな空気感”で回答を生成している。順位もなければ、クリック率もない。

つまり、SEOはもう通用しない。そこにあるのは、最適化できない世界だ。

最適化できない世界

AIは、h1タグや構造化データといった形式的な最適化ではなく、「どのように語られているか」「どんな文脈に登場しているか」「それが信頼されているかどうか」といった“言葉の扱われ方”をもとに学習している。

つまり、テクニックでコントロールするのではなく、もっと大きな視点──Webというネットワーク全体の中で、どう自然に好意的に語られるかという“空気の設計”が重要になってくる。

この意味で、これからの情報発信やブランド設計は、SEOという技術ではなくPRの戦略として捉える必要がある。AIに拾われるというのは、単に情報が存在するということではなく、“信頼と文脈を伴って語られている”という状態にあるということだ。

実際、ある国では「AIにどう学習させるか」を国家戦略レベルで進めており、AIの中に自国にとって都合のよい物語や評価を“埋め込む”というプロパガンダ的な活用が進んでいるという報道もある。

これは、「AIにどう語らせるか」が国家レベルの課題になってきていることを意味している。企業や個人にとっても、「どう語られるか」は今後、単なるブランディングの問題を超えて、社会的な影響力そのものを左右するテーマになっていくだろう。

拾われても、報われない

ところが皮肉なのは、拾われても報われないということ。

AIが自分のサイトを引用しても、クリックされるとは限らない。 むしろ、その場で回答が完結してしまい、アクセスにも収益にもつながらないことの方が多い。

つまり、いま起きているのは、“拾われなければ存在できず、拾われても見てもらえない”
という構造的ジレンマだ。

これは、SEO時代の”上位表示されれば流入がある”という前提を完全に覆している。

 

ロングテールは終わった

これまでのWeb戦略は、「ニッチなキーワードから知ってもらう」ロングテールSEOに支えられてきた。だが今、AIが質問に対してダイレクトに回答を返す世界では、「検索してたどり着く」導線自体が弱まりつつある。

Web制作業界に身を置く者として、この「検索の終焉」は、サイト制作そのものの意味を変えるかもしれないと感じている。

検索されなくなるということは、Google経由で偶然訪れる人が減っていくということ。たとえるなら、幹線道路がなくなった商業施設のようなものだ。今後は、これまでのように「とりあえずサイトを作っておけば、誰かが見つけてくれる」時代ではなくなっていく可能性がある。

では、Webサイト自体の価値は下がっていくのか?
それとも、AI経由で“見つけてもらう”ための新しい設計や導線が必要になるのか?

その方向性はまだ明確ではない。
とはいえ、これは完全に自分の妄想だ。
まだ周囲で実際に「誰も来なくなった」という話を聞くことはない。
でも、もしこのまま検索が形骸化し、偶然の流入がなくなっていけば──
「とりあえず作ればいい」は通用しない時代が、本当にやってくるかもしれない。

そしてそのとき、ユーザーが情報に出会う経路も、今とはまったく異なるものになっていくだろう。

ユーザーは、知らないものを検索して見つけるのではなく、「すでに知っているもの」を指名するようになる。だからこそ今後は、“知られるための導線”がより外部に依存するようになる。SNS、YouTube、イベント、他者からの紹介、比較記事、口コミ……。

もはや「自社サイトに流入させる」ことがゴールではなく、
「AIの中に名前が出てくる存在になること」が、次のスタンダードになっていくのかもしれない。

 

テクニックの終焉と、“語られ方”の戦略

これからのPR戦略は、「どう書くか」ではなく「どう語られるか」だ。

・自分のサイトでの整備より、他の場所で自然に紹介されること
・ポジティブな文脈で繰り返し言及されること
・技術的なチューニングより、人の体験と言葉で語られること

つまり、テクニックではなく、実体と信頼の戦略が必要になる。

 

まとめ:誰にも読まれない記事を、なぜ書くのか

この文章も、誰かに検索されて読まれることはないかもしれない。 AIに拾われる可能性も限りなく低い。

けれど、いまこの転換点にいる感覚を、誰かが書き残しておくことには意味があると思っている。

最適化が意味をなさなくなった世界で、
“語られる”ということそのものの価値が、もう一度問われ始めている。

それは小手先では作れない。だからこそ、面白い。

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